2019年04月08日
2019インド旅最終日/コルカタ その1 (コンデジカラー編)
2019インド旅も残すところ1日となる。
朝早くから、宿があるサダルストリート近くのニューマーケット周辺から、イスラム街、シアルダー駅周辺をカメラぶら下げて歩き回る。
インドでは、神聖視される牛を食べないことは誰しも知っていることですが、それはヒンドゥー教徒に限る話で、他にもイスラム教徒、スィーク教徒、ジャイナ教徒、キリスト教徒、仏教徒が混在して暮らしているので、それぞれに食生活は異なる。
一般的にはベジタリアン料理を食べることが多く、三週間の旅で自分が食べた肉は、マトンだけ。(あとは魚)
タンドリーチキン? そんなん普通バックパッカーは食べませんよ。 少なくとも自分は食べたことないw




素焼のチャイカップ復活?




イスラム街からシアルダー駅の方へ



ひと昔だったら、インドで見たことない様な改造バイクや、ドアのペイント。


白黒フィルムが数本余ったな。
もう一回、続く
朝早くから、宿があるサダルストリート近くのニューマーケット周辺から、イスラム街、シアルダー駅周辺をカメラぶら下げて歩き回る。
インドでは、神聖視される牛を食べないことは誰しも知っていることですが、それはヒンドゥー教徒に限る話で、他にもイスラム教徒、スィーク教徒、ジャイナ教徒、キリスト教徒、仏教徒が混在して暮らしているので、それぞれに食生活は異なる。
一般的にはベジタリアン料理を食べることが多く、三週間の旅で自分が食べた肉は、マトンだけ。(あとは魚)
タンドリーチキン? そんなん普通バックパッカーは食べませんよ。 少なくとも自分は食べたことないw




素焼のチャイカップ復活?




イスラム街からシアルダー駅の方へ



ひと昔だったら、インドで見たことない様な改造バイクや、ドアのペイント。


白黒フィルムが数本余ったな。
もう一回、続く
2019年04月07日
2019インド旅・コルカタへ戻る (コンデジカラー編)

何千万人という人出に道路は封鎖。
サンガムから二時間歩いて宿に戻り、荷造りしてまた二時間歩いて今度は駅へ。
列車は6時間遅れ、駅やホームで待つ事8時間、、、
もう日付が変わる直前、トレイン№12312、カルカメールが照らすライトが見えた時は、ひとりガッツポーズしたとか、しないとか。



というわけでやっとこさアラハバードを脱出し、爆睡してコルカタにたどり着いた。




2019インド旅も残すところあと一日となりました。
2019年04月04日
2019インド旅・アラハバード・クンブメーラ その9 (コンデジカラー編)
(陽が昇り、コンデジから白黒フィルムカメラに切り変える)
集まったナガババたちに近接して写真を撮っていたある時、誰かにフィルムカメラのストラップを強力に引っ張られた。
ヤバいっ、激しい力に、ストラップが手に食い込む。
俄かに、12年前のクンブメーラでテレビチームのカメラが棍棒で叩き壊されたシーンが甦った。
死んでも奪われまいと渾身の力で耐える中、冗談ではない相手の本気さが伝わってきた。
くそっ、、
必至で踏ん張っていたある瞬間、まるで綱引きの様に膠着していた力が抜けて、スっ転びそうになった。
離れた、と思ったと同時に群衆に紛れた。
すぐさまカメラを確認。
何とか壊されずに済んだが、かなり消耗したわ。
一先ず、ホッと胸を撫で下ろす。




帰国して、この時のクンブメーラの動画をYouTubeでいろいろ見ていたら、自分が写っていた動画があった。笑

こちら↓
「ハレハレ マハデーヴ!(シヴァの神様、万歳!)」
日本で培った常識の範疇では測れない奔放さ。
びっくり箱をひっくり返したように無邪気で、取りようによっては大人げないと言えなくてもない。
わけの分からないカオス、異世界な信仰、ヒンドゥー教の醸し出すエネルギーが爆発する。
クンブメーラ、全てがシュール。
陽が昇って数時間。
そろそろ宿に帰って駅に向かう準備をしなければならない。
(というのも、地域の小学校で創立70周年記念式典&祝賀会があるために2月10日までに帰国しなければならなかったw)
カツカツの、ぎりぎりスケジュール。 ああ、現実
帰るか...
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ガンジス川とヤムナー川が交わる中洲に、4か月ほどで作られ出現するというテントシティ、Kumbh Nagari(クンブナガリ)。
そこには、病院があり、警察、軍隊、消防隊も配備、水、食料、電力供給、衛生設備が整い、道路および浮き桟橋が縦横に巡らされて、ひとつの国のようなものと言っても過言ではない。
クンブナガリは、ほぼバチカン市国(ディズニーランドの面積と同じ位らしい)の100倍の広さだという。
48日間の祭りの期間中、その面積の土地に1億5000万人の人々がやってくる。
その数は、パリを訪れた観光客と同じ数であるらしい。
クンブメーラ関連サイトに出てくる数字が興味深い。
引用 https://qz.com/india/1522591/kumbh-mela-the-giant-hindu-festival-begins-in-indias-prayagraj/
2019年1月から3月の間に、フェスティバルは1億5000万人の信者を集め、その中には100万人の外国人観光客が集まると予想されています。
州政府 は、Kumbh Melaに2億8,200万ドルの予算を割り当て、これまでに費やされたもののほぼ2倍にあたる、2500ヘクタールを超える約300 km の道路をレイアウト。
鉄道は祭りの場所に巡礼者を運ぶ何百もの列車を予定していました、そして州政府は500人以上の電池式人力車と500人のシャトルバスが地域の周りに人々を連れて行くことを約束しました。
すべての訪問者を満たすために、600の大規模なキッチンと40の屋台があるフードコートが祭りが行われる地域に設置されました。
10万以上の携帯用トイレも設置されています。
12月に、州政府は約4,000のwifiホットスポットがKumbhのために確立されていると発表しました。
緊急事態のために、合計450台のベッドと150台の救急車を備えた22の病院(pdf)が設置されました。
ほとんどの信者は川のそばに建てられた控えめなテントで過ごしますが、裕福な巡礼者のための豪華な宿もあります。快適な宿泊施設で構成される「テント都市」が建設され、伝えられるところによれば無線LANやLEDテレビからコーヒーラウンジ、アーユルヴェーダのスパトリートメント、そしてヨガのクラスまで全てを提供しています。
このような大規模な人の集まりには、特別なセキュリティが必要です。今年の儀式は、62人の警察の前哨基地で働く3万人以上の警官と準軍事部隊の力によって監視されます。州政府は、準軍事部隊、監視員、および警備員も配置しました。また、40の消防署のほかに、40の見張り塔 と1,000のCCTVカメラも設置されています。
州政府はまた、15人の遺失物登録センターを建設 し、大勢の人々が行方不明になった場合に、友人や家族と信者を再会させる手助けをしています。
続く
集まったナガババたちに近接して写真を撮っていたある時、誰かにフィルムカメラのストラップを強力に引っ張られた。
ヤバいっ、激しい力に、ストラップが手に食い込む。
俄かに、12年前のクンブメーラでテレビチームのカメラが棍棒で叩き壊されたシーンが甦った。
死んでも奪われまいと渾身の力で耐える中、冗談ではない相手の本気さが伝わってきた。
くそっ、、
必至で踏ん張っていたある瞬間、まるで綱引きの様に膠着していた力が抜けて、スっ転びそうになった。
離れた、と思ったと同時に群衆に紛れた。
すぐさまカメラを確認。
何とか壊されずに済んだが、かなり消耗したわ。
一先ず、ホッと胸を撫で下ろす。




帰国して、この時のクンブメーラの動画をYouTubeでいろいろ見ていたら、自分が写っていた動画があった。笑

こちら↓
「ハレハレ マハデーヴ!(シヴァの神様、万歳!)」
日本で培った常識の範疇では測れない奔放さ。
びっくり箱をひっくり返したように無邪気で、取りようによっては大人げないと言えなくてもない。
わけの分からないカオス、異世界な信仰、ヒンドゥー教の醸し出すエネルギーが爆発する。
クンブメーラ、全てがシュール。
陽が昇って数時間。
そろそろ宿に帰って駅に向かう準備をしなければならない。
(というのも、地域の小学校で創立70周年記念式典&祝賀会があるために2月10日までに帰国しなければならなかったw)
カツカツの、ぎりぎりスケジュール。 ああ、現実
帰るか...
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ガンジス川とヤムナー川が交わる中洲に、4か月ほどで作られ出現するというテントシティ、Kumbh Nagari(クンブナガリ)。
そこには、病院があり、警察、軍隊、消防隊も配備、水、食料、電力供給、衛生設備が整い、道路および浮き桟橋が縦横に巡らされて、ひとつの国のようなものと言っても過言ではない。
クンブナガリは、ほぼバチカン市国(ディズニーランドの面積と同じ位らしい)の100倍の広さだという。
48日間の祭りの期間中、その面積の土地に1億5000万人の人々がやってくる。
その数は、パリを訪れた観光客と同じ数であるらしい。
クンブメーラ関連サイトに出てくる数字が興味深い。
引用 https://qz.com/india/1522591/kumbh-mela-the-giant-hindu-festival-begins-in-indias-prayagraj/
2019年1月から3月の間に、フェスティバルは1億5000万人の信者を集め、その中には100万人の外国人観光客が集まると予想されています。
州政府 は、Kumbh Melaに2億8,200万ドルの予算を割り当て、これまでに費やされたもののほぼ2倍にあたる、2500ヘクタールを超える約300 km の道路をレイアウト。
鉄道は祭りの場所に巡礼者を運ぶ何百もの列車を予定していました、そして州政府は500人以上の電池式人力車と500人のシャトルバスが地域の周りに人々を連れて行くことを約束しました。
すべての訪問者を満たすために、600の大規模なキッチンと40の屋台があるフードコートが祭りが行われる地域に設置されました。
10万以上の携帯用トイレも設置されています。
12月に、州政府は約4,000のwifiホットスポットがKumbhのために確立されていると発表しました。
緊急事態のために、合計450台のベッドと150台の救急車を備えた22の病院(pdf)が設置されました。
ほとんどの信者は川のそばに建てられた控えめなテントで過ごしますが、裕福な巡礼者のための豪華な宿もあります。快適な宿泊施設で構成される「テント都市」が建設され、伝えられるところによれば無線LANやLEDテレビからコーヒーラウンジ、アーユルヴェーダのスパトリートメント、そしてヨガのクラスまで全てを提供しています。
このような大規模な人の集まりには、特別なセキュリティが必要です。今年の儀式は、62人の警察の前哨基地で働く3万人以上の警官と準軍事部隊の力によって監視されます。州政府は、準軍事部隊、監視員、および警備員も配置しました。また、40の消防署のほかに、40の見張り塔 と1,000のCCTVカメラも設置されています。
州政府はまた、15人の遺失物登録センターを建設 し、大勢の人々が行方不明になった場合に、友人や家族と信者を再会させる手助けをしています。
続く
2019年04月03日
2019インド旅・アラハバード・クンブメーラ その8 (コンデジカラー編)
どこかで、ピー、ピーと笛の音が甲高く夜空を切り裂く。
寒さと、このサンガム一帯を照らす灯りの具合と相まって、ふと沈没したタイタニック号のあの映画の、ラストシーンを思い起こさせた。
午前3時45分らしいという情報が巷で流れ、その時間が近づくとポリスやメディアの動きが慌ただしくなる。
木柵で仕切られていた、ナガババたちが行進をする幅数10メートル?の通路内は、ポリスたちによって立ち入りを強制排除された。
寒さに震えながら、大勢の人々が木柵に寄りかかって立ったまま固唾をのんで待った。
いよいよ来るか、まだか、まだなのか・・・
睡魔が襲ってきて時折膝がカクっと折れた。
・・・長かった。
過去二回のクンブメーラでは、ババの行進が始まったのは日が昇ってからだった。
待つ事がすでに苦痛となっていたが、陽が昇らないことにはフィルムカメラでは撮れない。
シャッタースピードが足りずブレてしまうのだ。(コンデジで撮るしかないな)
結局待つこと2時間半、漸くナガババたちが現れた。
サンガムまで練り歩くのを、メディアや見物人を巻き込んだ混乱の中、カメラを構えて追いかける!
(写真はモザイクかけてます)















そして東の空がやっと白んできた。

続きます。
寒さと、このサンガム一帯を照らす灯りの具合と相まって、ふと沈没したタイタニック号のあの映画の、ラストシーンを思い起こさせた。
午前3時45分らしいという情報が巷で流れ、その時間が近づくとポリスやメディアの動きが慌ただしくなる。
木柵で仕切られていた、ナガババたちが行進をする幅数10メートル?の通路内は、ポリスたちによって立ち入りを強制排除された。
寒さに震えながら、大勢の人々が木柵に寄りかかって立ったまま固唾をのんで待った。
いよいよ来るか、まだか、まだなのか・・・
睡魔が襲ってきて時折膝がカクっと折れた。
・・・長かった。
過去二回のクンブメーラでは、ババの行進が始まったのは日が昇ってからだった。
待つ事がすでに苦痛となっていたが、陽が昇らないことにはフィルムカメラでは撮れない。
シャッタースピードが足りずブレてしまうのだ。(コンデジで撮るしかないな)
結局待つこと2時間半、漸くナガババたちが現れた。
サンガムまで練り歩くのを、メディアや見物人を巻き込んだ混乱の中、カメラを構えて追いかける!
(写真はモザイクかけてます)















そして東の空がやっと白んできた。

続きます。
2019年04月01日
2019インド旅・アラハバード・クンブメーラ その7 (コンデジカラー編)
連日広大な中洲を歩きまわり、ついに両足の裏に4cm大のマメが出来てしまった。痛くてかなわないので、安全ピンを買ってきてつぶす。
「(不死の妙薬が入った)壺祭り」を意味するクンブメーラ。
2019年は、1月15日から始まった。この期間のサンガムでの沐浴で、あらゆる罪が浄化されると信じられている。
全祭り48日間の会期中、新月や満月にあたる日が特別な日とされ、中でも2月4日の新月の日は「マウニ アマワセヤ」といい、最も縁起が良いとされた。
(早い話が、その日を目指して旅程を組んできた)
2月4日の前日からヒンドゥーの巡礼者たちが爆発的に集まってきており、何処もかしこも人、人、人・・・物凄い数に膨らんでいた。
インド中から、「マウニ アマワセヤ」の日に向けて続々と集まってきているのだ。
シャヒスナン(ロイヤルバス)の日程と大まかな意味。
1 マカール・サンクランティ 2019・01・05 収穫祭・太陽の崇拝 (最初の聖者の特別な沐浴)
2 パウシュ プルニマ 2019・01・21 冬の最後の満月の日
3 マウニ アマワセヤ 2019・02・04 新月・沈黙の日 (2回目の聖者の特別な沐浴)
4 バサント パンチャミ 2019・02・10 春の到来 (3回目の聖者の特別な沐浴)
5 マギー プールニマ 2019・02・19 マガ月の満月の日
6 マハ シヴァラートリ 2019・03・04 新月・ シヴァの大夜
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ピークの時間に宿から出発していたのでは間に合わない。
当初の予定では、前日のうちにサンガム側に渡り、(前出の)イタリア人ババたちがいるテントに泊まらせてもらうつもりで、その了承も得ていたのだが、宿のインド系カナダ人のアニールが同行を求めてきて、結局、サンガム近くの川縁で野宿することに。
ところがその地面が濡れており、寝袋が敷けないのだ、、、
アニールが、敷物を探してくると言って、群衆の中に消えた。
小一時間経ち、汗だくになってゼイゼイ言いながらアニールが帰ってきた。
額に傷をつけ、手にピクニックシートを握りしめて。
聞くと、「最後の一枚を、幾らだ何だと皆が寄ってたかっていたのを、大枚はたいて奪い取って来たのだという」
良くやった、でかしたぞ!
と言いたいところだったが、自分はこの場所がトイレから遠いことと、写真撮影に適した場所でないことに気がついていた。
自分は、アニールに別れを告げた。
「有難う、ではピクニックシートはもらっていくよ」
「グッドラック」「またな、宿で会おう」









アニールと別れたのは、これから現れるだろうナガババたちの行進を間近で撮るためだった。
そのためには、網が張られて身動きが取れなくなりそうな、この木柵を超えた向こう側に居なければならないと察した。
アニールは、あっち側にいても警察に排除されるだけだ、オレは分かっている、聞いたし見たんだからというのだが、自分は過去の経験を踏まえてそう考えているのであったし、自分は沐浴しに来たんやなくてあくまで写真を撮りに来たんや、こっちにおっては写真撮れんがな、間に合わん、あっちはトイレにも近いしな、いざっちゅう時に紛れて用を足せる場所も見つけてあるさかい、大体ここでは寝れんやろ、こんな足も伸ばせんざわついた密集地で・・・(これがうまく伝わらんとよ、情けないことに自分の英語力では、、)
日付が変わっった。
奴は、ひとりで沐浴してるんだろうな、今時間…
ピークはおそらく明け方の数時間前後だろうと、砂地のスペースに寝袋を敷き一寸でも眠ろうとした。
がしかし、神経も立ってる上、LEDの灯りが電照菊の様に煌々と照らされている、この人ごみの騒がしさの中では、(きついアルコールでも流し込まない限りは)眠れるはずはないのであった。 無論この場所はアルコール禁止

明け方3時ごろ、警察や警備が大勢現れて回りが慌ただしくなった。
あ~もう眠れん、、
そろそろ出てくるか、まだか、まだなのか・・・。
続く
翌日の当局による発表では、「マウニ アマワセヤ」の午前0時から9時までの間に1800万以上の人々が沐浴をしたという。
1月15日に始まったクンブメーラの人出はすでに1億2000万人を超えており、閉幕する3月4日までの予想来場者数をすでに上回っている・・・と。
「(不死の妙薬が入った)壺祭り」を意味するクンブメーラ。
2019年は、1月15日から始まった。この期間のサンガムでの沐浴で、あらゆる罪が浄化されると信じられている。
全祭り48日間の会期中、新月や満月にあたる日が特別な日とされ、中でも2月4日の新月の日は「マウニ アマワセヤ」といい、最も縁起が良いとされた。
(早い話が、その日を目指して旅程を組んできた)
2月4日の前日からヒンドゥーの巡礼者たちが爆発的に集まってきており、何処もかしこも人、人、人・・・物凄い数に膨らんでいた。
インド中から、「マウニ アマワセヤ」の日に向けて続々と集まってきているのだ。
シャヒスナン(ロイヤルバス)の日程と大まかな意味。
1 マカール・サンクランティ 2019・01・05 収穫祭・太陽の崇拝 (最初の聖者の特別な沐浴)
2 パウシュ プルニマ 2019・01・21 冬の最後の満月の日
3 マウニ アマワセヤ 2019・02・04 新月・沈黙の日 (2回目の聖者の特別な沐浴)
4 バサント パンチャミ 2019・02・10 春の到来 (3回目の聖者の特別な沐浴)
5 マギー プールニマ 2019・02・19 マガ月の満月の日
6 マハ シヴァラートリ 2019・03・04 新月・ シヴァの大夜
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ピークの時間に宿から出発していたのでは間に合わない。
当初の予定では、前日のうちにサンガム側に渡り、(前出の)イタリア人ババたちがいるテントに泊まらせてもらうつもりで、その了承も得ていたのだが、宿のインド系カナダ人のアニールが同行を求めてきて、結局、サンガム近くの川縁で野宿することに。
ところがその地面が濡れており、寝袋が敷けないのだ、、、
アニールが、敷物を探してくると言って、群衆の中に消えた。
小一時間経ち、汗だくになってゼイゼイ言いながらアニールが帰ってきた。
額に傷をつけ、手にピクニックシートを握りしめて。
聞くと、「最後の一枚を、幾らだ何だと皆が寄ってたかっていたのを、大枚はたいて奪い取って来たのだという」
良くやった、でかしたぞ!
と言いたいところだったが、自分はこの場所がトイレから遠いことと、写真撮影に適した場所でないことに気がついていた。
自分は、アニールに別れを告げた。
「有難う、ではピクニックシートはもらっていくよ」
「グッドラック」「またな、宿で会おう」









アニールと別れたのは、これから現れるだろうナガババたちの行進を間近で撮るためだった。
そのためには、網が張られて身動きが取れなくなりそうな、この木柵を超えた向こう側に居なければならないと察した。
アニールは、あっち側にいても警察に排除されるだけだ、オレは分かっている、聞いたし見たんだからというのだが、自分は過去の経験を踏まえてそう考えているのであったし、自分は沐浴しに来たんやなくてあくまで写真を撮りに来たんや、こっちにおっては写真撮れんがな、間に合わん、あっちはトイレにも近いしな、いざっちゅう時に紛れて用を足せる場所も見つけてあるさかい、大体ここでは寝れんやろ、こんな足も伸ばせんざわついた密集地で・・・(これがうまく伝わらんとよ、情けないことに自分の英語力では、、)
日付が変わっった。
奴は、ひとりで沐浴してるんだろうな、今時間…
ピークはおそらく明け方の数時間前後だろうと、砂地のスペースに寝袋を敷き一寸でも眠ろうとした。
がしかし、神経も立ってる上、LEDの灯りが電照菊の様に煌々と照らされている、この人ごみの騒がしさの中では、(きついアルコールでも流し込まない限りは)眠れるはずはないのであった。 無論この場所はアルコール禁止

明け方3時ごろ、警察や警備が大勢現れて回りが慌ただしくなった。
あ~もう眠れん、、
そろそろ出てくるか、まだか、まだなのか・・・。
続く
翌日の当局による発表では、「マウニ アマワセヤ」の午前0時から9時までの間に1800万以上の人々が沐浴をしたという。
1月15日に始まったクンブメーラの人出はすでに1億2000万人を超えており、閉幕する3月4日までの予想来場者数をすでに上回っている・・・と。
2019年03月31日
2019インド旅・アラハバード・クンブメーラ その6 (コンデジカラー編)
世界最大の巡礼者の祭り「クンブメーラ」に、サドゥーと呼ばれる行者たちの存在は欠かせない。
サドゥーとは、俗世を放棄したヒンドゥー教の修行者であり放浪の民、中でも素っ裸の体に灰を塗りたくったシバ神を信仰するナガババ(サドゥー)たちは、見る者を圧倒する。
そのサドゥ-たちが一堂に会するのが「クンブメーラ」でもある。





















今回、そこかしこで会った欧米人カメラマン。
会釈する間柄になっていたが、お互い写真撮るのに夢中で話す機会を逸した。

おまけ。
12年前にこの場所で会ったイタリア人のババ、イシュールバハルティと偶然再会。

まだまだ続く
サドゥーとは、俗世を放棄したヒンドゥー教の修行者であり放浪の民、中でも素っ裸の体に灰を塗りたくったシバ神を信仰するナガババ(サドゥー)たちは、見る者を圧倒する。
そのサドゥ-たちが一堂に会するのが「クンブメーラ」でもある。





















今回、そこかしこで会った欧米人カメラマン。
会釈する間柄になっていたが、お互い写真撮るのに夢中で話す機会を逸した。

おまけ。
12年前にこの場所で会ったイタリア人のババ、イシュールバハルティと偶然再会。

まだまだ続く
2019年03月29日
2019インド旅・アラハバード・クンブメーラ その5 (コンデジカラー編)
通常ならヤムナー川を30ルピーで渡してれるという。
祭り価格は、この際もう致し方ない。
500とかべら棒な数字を言われたこともある中、その日も何とか許容範囲の100ルピー(160円)で渡る。

サンガム周辺のグーグルアース画像を確認してほしい。
(星印が宿のある場所で手前がヤムナー川。上から流れ込んでいるのがガンジス川。中央の中洲全部がテントシティと化している。)

日の出と共に現れる光景に見惚れる。




クンブメーラに集まった巡礼者たちは徐々にその数を増やしてはいたが、祭りのピークはまだ二日先。
もちろん、ゴミの量も半端ないはずが、掃除人たちが箒で掃いたり常にサンガム周辺をきれいにしていた。
川の淀みに溜まったゴミをすくって集めている現場。


環境汚染に関わる喫緊の課題として、地球規模で取りだたされている深刻な廃プラごみ問題。
(自分が住む石垣島でも例外ではなく、唖然とするような漂着物が海岸を埋め尽くしている昨今)
去年の夏だったか、インドから驚くようなニュースが飛び込んできた。
「外国人観光客もレジ袋を持っていたら罰金・・・」
インドでも、プラごみが日常生活を脅かす脅威となり、大都市ムンバイがあるインド第2の州マハラシュトラ州で、使い捨てプラスチックの使用を禁止する州法が施行されたと。
今旅では、そのマハラシュトラ州に足を踏み入れていないが、使い捨てプラスチック禁止の州法はインドの29州のうち少なくとも25州で制定されたらしい。
しかし実際は、ペットボトルのミネラルウォーターも普通に買えたし、道端でバナナを購入するとレジ袋に入れてくれた。
そのため、インド滞在中そのニュースがあった事を忘れていたほどだ。
素焼のチャイカップが80年代最初にインドに来た頃を彷彿とさせるほどに店に出回っていて、その復活?に気づいてプラごみの件を思い出すという始末。
今回通り過ぎた東側のいくつかの州においては厳格な取り締まりがなされてなかったものの、頭の痛い問題であることに変わりはない。



続きます。
祭り価格は、この際もう致し方ない。
500とかべら棒な数字を言われたこともある中、その日も何とか許容範囲の100ルピー(160円)で渡る。

サンガム周辺のグーグルアース画像を確認してほしい。
(星印が宿のある場所で手前がヤムナー川。上から流れ込んでいるのがガンジス川。中央の中洲全部がテントシティと化している。)

日の出と共に現れる光景に見惚れる。




クンブメーラに集まった巡礼者たちは徐々にその数を増やしてはいたが、祭りのピークはまだ二日先。
もちろん、ゴミの量も半端ないはずが、掃除人たちが箒で掃いたり常にサンガム周辺をきれいにしていた。
川の淀みに溜まったゴミをすくって集めている現場。


環境汚染に関わる喫緊の課題として、地球規模で取りだたされている深刻な廃プラごみ問題。
(自分が住む石垣島でも例外ではなく、唖然とするような漂着物が海岸を埋め尽くしている昨今)
去年の夏だったか、インドから驚くようなニュースが飛び込んできた。
「外国人観光客もレジ袋を持っていたら罰金・・・」
インドでも、プラごみが日常生活を脅かす脅威となり、大都市ムンバイがあるインド第2の州マハラシュトラ州で、使い捨てプラスチックの使用を禁止する州法が施行されたと。
今旅では、そのマハラシュトラ州に足を踏み入れていないが、使い捨てプラスチック禁止の州法はインドの29州のうち少なくとも25州で制定されたらしい。
しかし実際は、ペットボトルのミネラルウォーターも普通に買えたし、道端でバナナを購入するとレジ袋に入れてくれた。
そのため、インド滞在中そのニュースがあった事を忘れていたほどだ。
素焼のチャイカップが80年代最初にインドに来た頃を彷彿とさせるほどに店に出回っていて、その復活?に気づいてプラごみの件を思い出すという始末。
今回通り過ぎた東側のいくつかの州においては厳格な取り締まりがなされてなかったものの、頭の痛い問題であることに変わりはない。



続きます。
2019年03月28日
2019インド旅・アラハバード・クンブメーラ その4 (コンデジカラー編)
12年前、サンガムでばったり会った日本人の人と話を交わすと、その人は『インド第三の性 ヒジュラ』の著者、石川武志氏だった。
図書館で立ち読みしたに過ぎないが、その著作からヒジュラと呼ばれる者たちの存在を知ってはいた。
今回クンブメーラ2019にやって来て、ナガサドゥたちはどのエリアにいるだとかの情報を、地図を見ながら宿のスタッフから聞き出す。
その説明の中で、ヒジュラ(トランスジェンダー)たちが、クンブメーラでの沐浴が許されて今回初めて祭りに参加しているという。
宿で知り合ったバンガロールからの旅行者N婦人曰く、ヒジュラというよりKINNARと呼んだ方が良いと。
インドには、推定2、300万人のKINNAR(トランスジェンダー)がいるらしい。
その日は、前出のバンガロールのN婦人と行動。
宿のスタッフから聞いた場所(KINNARらがいると聞いたセクター)は見当違いで、結局広大なテント村を探し歩く羽目になるのだが、N婦人が道すがらヒンディー語で尋ねてくれて辿り着く。



なんでも、この報道陣を集めた記者会見場で真ん中に座っているのが有名なトランスジェンダーらしく、 AKHADAの長、その名をMahamandaleshwar Laxmi Narayan Tripathi
こちらに詳細→
https://en.wikipedia.org/wiki/Laxmi_Narayan_Tripathi

2014年にインドの最高裁が、トランスジェンダーの人々を「サードジェンダー(第三の性)」とし、彼らの権利を認める判決を下したという。
何の話をしているのかさっぱり分からんかったが、政治的な話であると、N婦人。
なるほど。

話変わって、サンガム周辺を歩いていて気になったとあるポスター。
どうやら日本人のヒーラーらしい。

ポスターにある、パイロットババキャンプにも来てみた。
その女性が大勢の中心にいて、訪れた方々が次々と平伏し敬意を表していた。

自分は存じ上げませんでしたが、なんかすごい経歴の人であった。
相川圭子公式サイト→https://www.science.ne.jp/
クンブメーラ、ディープ過ぎるで。
(まだまだ)続く
図書館で立ち読みしたに過ぎないが、その著作からヒジュラと呼ばれる者たちの存在を知ってはいた。
今回クンブメーラ2019にやって来て、ナガサドゥたちはどのエリアにいるだとかの情報を、地図を見ながら宿のスタッフから聞き出す。
その説明の中で、ヒジュラ(トランスジェンダー)たちが、クンブメーラでの沐浴が許されて今回初めて祭りに参加しているという。
宿で知り合ったバンガロールからの旅行者N婦人曰く、ヒジュラというよりKINNARと呼んだ方が良いと。
インドには、推定2、300万人のKINNAR(トランスジェンダー)がいるらしい。
その日は、前出のバンガロールのN婦人と行動。
宿のスタッフから聞いた場所(KINNARらがいると聞いたセクター)は見当違いで、結局広大なテント村を探し歩く羽目になるのだが、N婦人が道すがらヒンディー語で尋ねてくれて辿り着く。



なんでも、この報道陣を集めた記者会見場で真ん中に座っているのが有名なトランスジェンダーらしく、 AKHADAの長、その名をMahamandaleshwar Laxmi Narayan Tripathi
こちらに詳細→
https://en.wikipedia.org/wiki/Laxmi_Narayan_Tripathi

2014年にインドの最高裁が、トランスジェンダーの人々を「サードジェンダー(第三の性)」とし、彼らの権利を認める判決を下したという。
何の話をしているのかさっぱり分からんかったが、政治的な話であると、N婦人。
なるほど。

話変わって、サンガム周辺を歩いていて気になったとあるポスター。
どうやら日本人のヒーラーらしい。

ポスターにある、パイロットババキャンプにも来てみた。
その女性が大勢の中心にいて、訪れた方々が次々と平伏し敬意を表していた。

自分は存じ上げませんでしたが、なんかすごい経歴の人であった。
相川圭子公式サイト→https://www.science.ne.jp/
クンブメーラ、ディープ過ぎるで。
(まだまだ)続く
2019年03月21日
2019インド旅・アラハバード・クンブメーラ その3 (コンデジカラー編)
そもそも、クンブメーラとはなんぞや?
(ウィキペディアで検索してください、、)
24年前、初めてこの聖なる祭りを体感した。
肝炎上がりの身だったが、文字通り魂を揺さぶられる。
ガンジス川(ガンガー)とヤムナー川が交わるサンガムを中心とした、8キロ四方の中洲に出現した難民キャンプの様なテント群。
果てしない数の巡礼者と行者サドゥ-が一堂に会し、そこには未だかつて見たことがない光景が現れた。
祈りと共に人が溢れ、歓喜に恍惚と渦巻く様を目の当たりにして、自分も敬虔な巡礼者のひとりとなった気がしたものだ。
その12年後の2007年に再訪して、今回2019年で3度目となる。
2017年にユネスコの無形文化遺産に認定されたという影響だろうか、規模がさらにデカくなり派手になったようだ。
カメラマンや報道陣、警備関係、国内外の観光客の数も、1994年に比べたら相当増えていた。
・・・まずは、12年前に寝袋にくるまって野宿した砂の丘を目指した。
探せどしかし丘はそこにはなく、辺りの佇まいも変わってました。
12年という年月は長い。
(自分のこの12年を振り返れば・・・家をセルフビルドして引っ越しし、突然の網膜剥離手術入院、加えて窯焚きのストレスでパニック障害発症、そして自力で緩和、娘が成人、インド写真集を発刊等々、いろいろあったわ、、)
サンガムの中洲は、蛇行したり増減する川の流れのままにあるのかと思っていたが、意外に手が加えられ管理もされているのだ。
かつて丘があった場所の近くにナガサドゥーの庵があったので、お邪魔する。



ガンガーに架かるシャストリー橋から、仮設のテントシティを望む。
手前のセクター15から奥に約6キロ、セクター9までテント群が続く。(全セクターは17)


浮き桟橋、またの名をポンツーン橋が20本もガンガーに架かる。
混乱を避けるため、一方通行だ。
この橋が数日後、人であふれる。




突然現れた象や、アクセサリー売りの姉さんたちに癒される。。。
この日を最初に、この場所を歩き続けることになる。
しまいには、両の足裏にデカいマメが出来てしまいました。
(ウィキペディアで検索してください、、)
24年前、初めてこの聖なる祭りを体感した。
肝炎上がりの身だったが、文字通り魂を揺さぶられる。
ガンジス川(ガンガー)とヤムナー川が交わるサンガムを中心とした、8キロ四方の中洲に出現した難民キャンプの様なテント群。
果てしない数の巡礼者と行者サドゥ-が一堂に会し、そこには未だかつて見たことがない光景が現れた。
祈りと共に人が溢れ、歓喜に恍惚と渦巻く様を目の当たりにして、自分も敬虔な巡礼者のひとりとなった気がしたものだ。
その12年後の2007年に再訪して、今回2019年で3度目となる。
2017年にユネスコの無形文化遺産に認定されたという影響だろうか、規模がさらにデカくなり派手になったようだ。
カメラマンや報道陣、警備関係、国内外の観光客の数も、1994年に比べたら相当増えていた。
・・・まずは、12年前に寝袋にくるまって野宿した砂の丘を目指した。
探せどしかし丘はそこにはなく、辺りの佇まいも変わってました。
12年という年月は長い。
(自分のこの12年を振り返れば・・・家をセルフビルドして引っ越しし、突然の網膜剥離手術入院、加えて窯焚きのストレスでパニック障害発症、そして自力で緩和、娘が成人、インド写真集を発刊等々、いろいろあったわ、、)
サンガムの中洲は、蛇行したり増減する川の流れのままにあるのかと思っていたが、意外に手が加えられ管理もされているのだ。
かつて丘があった場所の近くにナガサドゥーの庵があったので、お邪魔する。



ガンガーに架かるシャストリー橋から、仮設のテントシティを望む。
手前のセクター15から奥に約6キロ、セクター9までテント群が続く。(全セクターは17)


浮き桟橋、またの名をポンツーン橋が20本もガンガーに架かる。
混乱を避けるため、一方通行だ。
この橋が数日後、人であふれる。




突然現れた象や、アクセサリー売りの姉さんたちに癒される。。。
この日を最初に、この場所を歩き続けることになる。
しまいには、両の足裏にデカいマメが出来てしまいました。
2019年03月18日
2019インド旅・アラハバード・クンブメーラ その2 (コンデジカラー編)

宿から聖地サンガム(ガンガーとヤムナー川が合流する場所)へ行くには幾つかの方法があったが、全長1.5㌔ある橋を渡ってぐるっと陸路を大回りで行くよりかは、やはり最短のコースを選びたいのが人情。
ただ、そこにはヤムナー川があってボートで渡らなければならない。
宿から東へ2キロ歩きサンガムが目の前の船着き場で値段を聞くと、通常なら日本円で50円ほどで渡してくれるところが10倍以上の値段を吹っ掛けてくる。
渡りたい人はいくらでもいるから向こうに分がある。
「話しにならんわ!」
こういう時、単独行動はどうしても割高になってしまう。
悔しいが、距離的には一番長いもう一つの方法を選択するより他なかった。
これだと5、6キロコースや、、(地図の青の線)
夜明け前から歩き始めて、陽が昇る。

交通の要所には歩哨が。

浮き桟橋でガンガーを渡る。



トイレ~説明しなくてもわかるか。



象をあしらった、バカでかい東口ゲート。
ようこそ 2019 クンブメーラへ!