2019年03月21日
2019インド旅・アラハバード・クンブメーラ その3 (コンデジカラー編)
そもそも、クンブメーラとはなんぞや?
(ウィキペディアで検索してください、、)
24年前、初めてこの聖なる祭りを体感した。
肝炎上がりの身だったが、文字通り魂を揺さぶられる。
ガンジス川(ガンガー)とヤムナー川が交わるサンガムを中心とした、8キロ四方の中洲に出現した難民キャンプの様なテント群。
果てしない数の巡礼者と行者サドゥ-が一堂に会し、そこには未だかつて見たことがない光景が現れた。
祈りと共に人が溢れ、歓喜に恍惚と渦巻く様を目の当たりにして、自分も敬虔な巡礼者のひとりとなった気がしたものだ。
その12年後の2007年に再訪して、今回2019年で3度目となる。
2017年にユネスコの無形文化遺産に認定されたという影響だろうか、規模がさらにデカくなり派手になったようだ。
カメラマンや報道陣、警備関係、国内外の観光客の数も、1994年に比べたら相当増えていた。
・・・まずは、12年前に寝袋にくるまって野宿した砂の丘を目指した。
探せどしかし丘はそこにはなく、辺りの佇まいも変わってました。
12年という年月は長い。
(自分のこの12年を振り返れば・・・家をセルフビルドして引っ越しし、突然の網膜剥離手術入院、加えて窯焚きのストレスでパニック障害発症、そして自力で緩和、娘が成人、インド写真集を発刊等々、いろいろあったわ、、)
サンガムの中洲は、蛇行したり増減する川の流れのままにあるのかと思っていたが、意外に手が加えられ管理もされているのだ。
かつて丘があった場所の近くにナガサドゥーの庵があったので、お邪魔する。
ガンガーに架かるシャストリー橋から、仮設のテントシティを望む。
手前のセクター15から奥に約6キロ、セクター9までテント群が続く。(全セクターは17)
浮き桟橋、またの名をポンツーン橋が20本もガンガーに架かる。
混乱を避けるため、一方通行だ。
この橋が数日後、人であふれる。
突然現れた象や、アクセサリー売りの姉さんたちに癒される。。。
この日を最初に、この場所を歩き続けることになる。
しまいには、両の足裏にデカいマメが出来てしまいました。
(ウィキペディアで検索してください、、)
24年前、初めてこの聖なる祭りを体感した。
肝炎上がりの身だったが、文字通り魂を揺さぶられる。
ガンジス川(ガンガー)とヤムナー川が交わるサンガムを中心とした、8キロ四方の中洲に出現した難民キャンプの様なテント群。
果てしない数の巡礼者と行者サドゥ-が一堂に会し、そこには未だかつて見たことがない光景が現れた。
祈りと共に人が溢れ、歓喜に恍惚と渦巻く様を目の当たりにして、自分も敬虔な巡礼者のひとりとなった気がしたものだ。
その12年後の2007年に再訪して、今回2019年で3度目となる。
2017年にユネスコの無形文化遺産に認定されたという影響だろうか、規模がさらにデカくなり派手になったようだ。
カメラマンや報道陣、警備関係、国内外の観光客の数も、1994年に比べたら相当増えていた。
・・・まずは、12年前に寝袋にくるまって野宿した砂の丘を目指した。
探せどしかし丘はそこにはなく、辺りの佇まいも変わってました。
12年という年月は長い。
(自分のこの12年を振り返れば・・・家をセルフビルドして引っ越しし、突然の網膜剥離手術入院、加えて窯焚きのストレスでパニック障害発症、そして自力で緩和、娘が成人、インド写真集を発刊等々、いろいろあったわ、、)
サンガムの中洲は、蛇行したり増減する川の流れのままにあるのかと思っていたが、意外に手が加えられ管理もされているのだ。
かつて丘があった場所の近くにナガサドゥーの庵があったので、お邪魔する。
ガンガーに架かるシャストリー橋から、仮設のテントシティを望む。
手前のセクター15から奥に約6キロ、セクター9までテント群が続く。(全セクターは17)
浮き桟橋、またの名をポンツーン橋が20本もガンガーに架かる。
混乱を避けるため、一方通行だ。
この橋が数日後、人であふれる。
突然現れた象や、アクセサリー売りの姉さんたちに癒される。。。
この日を最初に、この場所を歩き続けることになる。
しまいには、両の足裏にデカいマメが出来てしまいました。
Posted by TARO at 19:40│Comments(0)
│2019インド旅