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Posted by TI-DA at

2019年04月22日

台湾食べ歩記・弾丸的家族旅行⑦

ランタンの「十分」へ行ったその足で、台湾の定番観光地「九份」へ。

九份に来るのは、長男がまだお腹にいた頃以来だ。
17年前もすでに観光客で一杯だった。
今回は陽が暮れてから来たため、日帰り観光が多い九份のメインストリート「基山街」はシャッターが下りて人もまばら。
殆どの店はもう閉まって開いていなかったが、九份の本来の雰囲気が味わえた感じがして逆に良かったかも。

(白黒モード)
















「九份」で泊まったのは、「ジォウフェン コージー ストーンハウス B&B」
ファミリーで使うと、広々とした家にいるような感じだった。

次の朝も雨降り。
「基山街」界隈を散歩する。












霞でしっとりと濡れ、早朝はまだ静かな「九份」

娘一押しの、阿柑姨芋圓の芋圓(お汁粉)をいただいたあと、観光客で混み合ってくるのと入れ違いに、台北へ戻る。



次回最終回



  

Posted by TARO at 11:49Comments(0)休日

2019年04月21日

台湾食べ歩記・弾丸的家族旅行⑥

雨降りの台湾二日目。
地下街をブラブラした後、台北駅から瑞芳駅で乗り換えて十分(シーフェン)へ。
所要時間は1時間半ほど。























雨の止んだ時間を見計らって、紙と針金でできたランタンを買い(600円くらいだったかな)、家族それぞれ願い事を書いて空へ飛ばした。

「健康第一」
「世界平和」
「家内安全」
「石垣島に軍事基地が作られませんように」
「NO辺野古基地」
「今の政権が終わりますように」

「毎年旅ができますように」「印度にまた行けますように」 書き忘れる。










飛んで行ったランタンは、どうなるのだろうと気になる。
観光局が残骸を拾い集めているとか、多雨地帯という理由で大目に見られているという話だ。






昼過ぎに来たので近くの名物滝や、つり橋に行く時間は無し。
雨がまた降りだして、間一髪ダッシュで帰りの汽車に飛び乗った。










続く

  

Posted by TARO at 12:19Comments(0)休日

2019年04月20日

台湾食べ歩記・弾丸的家族旅行⑤

(タイにいる娘からダメ出しされて、UBIKEの使用料金など2、3訂正しました)


台湾といえば、東北大震災直後に200億円もの義援金を送ってくれたり、のちに残念なことに民意によって否定されてしまったらしいが、「2025年までに原発の運転を全て停止する」と打ち出して、人々の意識の高さに感謝の気持ちと驚きをもって見ていたが、実際は、石垣島から一番近い海外であるにも関わらず殆ど何も知らない。

「小籠包」を食べるだけでは、情けない。


台北では、市が管理している公共レンタサイクル「UBIKE」や電線の地中化達成率など、感心することしきり。
他にも・・・


・RO水アピュアの自販。
不純物をほぼ完全に取り除いた純水らしい。





・こちらは、トイレの使用状況が分かる電光掲示板。





・喫茶店の前で珈琲ガラを提供。
(虫よけになるというので、ウチも家の周りにまいています)





・こちらは、古着の回収BOX
https://nakazimachica.com/clothes-recycle-box/






なるほどな、と。
ちょこっと町を歩いただけで、発見あります。




・・・後半に続く  

Posted by TARO at 07:42Comments(0)休日

2019年04月17日

台湾食べ歩記・弾丸的家族旅行④

当初は、淡水や猫空駅の茶屋園なども行く候補にあったらしいが、とにかく天気が悪くそして寒かった。
ナビゲータの娘は、その都度行き先を変更し決めていた。

高さ509.2m地上101階建て「台北101」をただ仰ぎ、結局登らずしてレンタサイクルを返す。
(好きなところで自転車を借り、好きなところで返せるこのシステム、いいです)

☆YouBike 台北市政府スマイル自転車☆
https://www.travel.taipei/ja/information/youbike


台北101近くのバス停から、松山駅へ。

向かうは、有名夜市のひとつ「饒河街觀光夜市」

台北の夜市は、大小合わせると数えきれないほどあるらしいが、語学留学していた1年余りの間に、22ほどの夜市を娘は巡ってきたという。
YOUは何しに台湾へ?


ゲートをくぐって、定番の「福州世祖胡椒餅」に並ぶ。



















もう食べれまへん。

こちら「挽面」という、糸で産毛を絡めとるエステ。
産毛取った後、剛毛になったら、通い続けるという無限ループ?(嘘です)





隣のマッサージに入りました。
その間、子供らは自由行動でどっか行ってしまった。
迷子にならんかと気になって、ゆっくり味わえん、、がな。

あ、そこ痛い、、






というわけで、台湾初日満喫して終了。


続く



軽い
  

Posted by TARO at 19:36Comments(2)休日

2019年04月16日

台湾食べ歩記・弾丸的家族旅行③

お目当ての「郭記牛肉麵店」が閉まっていたので、近くで適当な店に入る。





娘曰く、ここは話にならなかったということで、少し歩いて次なる店へ。
ま、確かに淡白な味ではあったけど、健康的やったやん





 台湾初小籠包、文句なし。




そこから、台湾師範大学の辺りを歩き・・・









大安森林公園でリスを見て、足つぼ通りを歩く、もう一回歩く、さらに歩いてみる。

これは定番コースのようだ。







そして地下鉄「科技大楼」駅辺りで、自転車をレンタル。
これはいい!
台湾、進んでいます。

悠遊カードに電話番号を登録し地下鉄駅などでチャージ。(家族四人分4枚のカードを予め手に入れていた)
Ubike初めの15分無料、30分以降5元、安い!




街の景観がすっきりしてると思いませんか?
石垣島でも2、3の地点で実施されてますが、台北市内は何とすでに電柱の地中化がほぼ成されているといいます。進んでます。





レンタサイクルに乗ってすいすいと、台北101へ。







こんな軽くていいのか、このブログ。


続く



  

Posted by TARO at 22:49Comments(0)休日

2019年04月16日

台湾食べ歩記・弾丸的家族旅行②

台湾へは、1987年頃オランダから帰国する際に乗り継ぎで3日滞在したのが最初で、次は2002年頃に今は無き有村産業のクルーズフェリーで石垣島から行った。

しかし過去に行ったことがあると言っても、当時とは街の様相がまるで変わってる上、地理的なことも全く憶えていない。
数年前に娘が台湾に語学留学していたので、3度目となる今旅は、ネットも駆使してもらって娘に全面的に頼る。

仮に夜市の人混みではぐれたら、どこをどう帰ればいいのか、今どこにいるのかも分からないほど全て任せっきり。(スマホは私持っておりません)
金魚の糞のように、ただ後ろから付いて行くのでした。

3日間、九份以外は何処をどう行ってどこに泊まったのかも知らなかったが、後から娘に工程を聞いて記しました。


台湾着。
桃園国際空港から中山國小駅近くまで空港バスに乗り徒歩数分、最初の宿は、ホテル ファン リンセン 台北(趣旅館 林森館・Hotel Fun Linsen Branch)





台湾の若者を中心としてたくさんの旅行者が投宿してました。
とりわけ朝食のバイキングが良かったです。


宿に向かう途中、台湾の子供たちがキックボードで移動しながらスマホ使っていた。(気をつけて)
スマホ使用年齢が低いなあというのが、まず第一印象。
(後で娘からダメ出しが。少女たちはベトナムとフィリピンからだよ、と)





荷物を下ろして地下鉄で向かったのが、「古亭」駅で下車して、「郭記牛肉麵店」
しかしながら、なんとその曜日は休日でクローズ、、、

娘のガッカリ様といったら・・・まいいさ。

「郭記牛肉麵店」 http://www.maruko.tw/2018/09/12.html

うーん、美味そうだ、残念。


近くの街並みと様子。








続く

(軽すぎるな、このブログ)




  

Posted by TARO at 20:18Comments(0)休日

2019年04月15日

台湾食べ歩記・弾丸的家族旅行① 

インド行って帰ってきたばっかだし、そもそもこの時期に家族旅行するという予定はなかった。(時系列がおかしくなってますが、先月末の話)

家人が「沖縄全島やちむん市」に出店応募をしていたのが定員オーバーでキャンセルとなり、航空券だけが宙に浮いてしまったので、丁度春休みであるし、自分と息子も来させてそのまま台湾に行ってしまえということになったらしい。(なったらしいというのは、我が家はいつも事後報告)


台湾行の飛行機が早朝発だったから、石垣島から前日に那覇に飛んでまず一泊。
一足先に那覇に滞在していた娘たちと合流し、栄町商店街へ。

これから台湾へ行くというのに、中華料理屋さんで餃子と麻婆豆腐を頂く。
忘年会以来の生ビール。

(普段食べ物の写真アップする事は殆どないけど、この旅行は食がメイン)












そして翌日の夜明け前、土砂降りの雨の中、タクシーに乗り込んだ。
(うちの番犬は元気にしてるやろか・・・)

知らない間に那覇西道路というのが開通していて、国際通りからあっという間に空港に着く。


空港の売店で、「どこかで見たぞこのバナナ」
こんなところに日本人に出てた、あれか。





正真正銘の家族旅行ですが、家族写真はないので悪しからず。


続く








  

Posted by TARO at 06:52Comments(0)休日

2019年04月13日

ビーチクリーン@平野海岸 2019 Vol.2

先週の日曜日、同海岸で今年2回目となる「海LOVEネットワーク」事務局主催のビーチクリーンが行われました。

ここは島の最北端に位置し、冬場の北風で大量の漂着ゴミが打ち上げられる吹き溜まりとなっている。
毎回その量に愕然とした思いを抱くが、今回はそれを上回る、半端ないほどの凄まじいゴミの数だった。

その日は夏日で、天気が良いのに越したことはないものの、個人的には前日の寝不足で、下手すると熱中症で倒れるんちゃうかというヤバい体調。
いつもより長丁場となり、午後3時頃にやっと目途が付いた。
本当に皆さんお疲れさんです。




この平野海岸で大々的にビーチクリーンが行われたのは、今から8年くらい前の「第2回 海・LOVELOVE フェスタ 石垣島2011」からだと思う。
当時は明石集落に住んでいて、何かの予定と重なって参加出来ませんでしたが、翌年明石で行われた「第3回」で初参加しました。

当時と現在の状況を比較したくなって「海LOVEネットワーク」HP等で当時の記録を調べてみると・・・


・参加人数   2011年 600人以上(うちスタッフ100人)
       2019年 315人(3月、4月の2日間の合計)
      ※2011年は炊き出しやライブイベントもあり。

・ゴミの量 2011→2019(2日間の合計) ※初めて行われた2011年と時々行われている中の2019年。

燃やすゴミ102袋 → 9袋
燃やさないゴミ3袋 → 224袋
発泡スチロール216袋 → 280袋
ペットボトル152袋 → 256袋(約11281本)
缶6袋 → 6袋
漁具6袋 → 45袋
ブイ494個 → 278個
発泡ブイ1111個 → 264個
電球18袋 → 11袋
ビン37袋など → 36袋

現在は、2011年に記録されてないものも分類されて記録されてます。

・ロープ 18袋
・ロープ(かたまり) 約593kg
・危険物 8袋
・ワレモノ 5袋
・ドラム缶 4個
・木片 11個
・浮き漁具 2個
・手作り漁具 4個(長い棒+発泡)
・冷蔵庫 2個
・冷蔵庫の蓋 1個
・ポリタンク 23個
・プラスチック片(大)43個
・ウレタン片(大)29個
・オイル缶 14個
・プラスチックのカゴ 8個
・ガスタンク 2個
・ガス缶(小)3個
・スプレー缶(大)5個
・タイヤ 2個
・パレット 12個
・長いパイプ 12個
・注射器 16本
・使い捨てライター 23本
・薬品 5本
・イカのエギ 8個
・塗り薬 1個
・不明の液体入ったペットボトル 4袋(約20本)
・コーラのケース 1個


「海Loveフェスタ – 海Loveネットワーク in 石垣島」
https://www.facebook.com/umilove.network/

「やいまタイム」で、うちの娘も記事を。
https://yaimatime.com/islands-mail/


石垣島に漂着するゴミで目立つのは、近隣諸国からのもの。
日本から出たゴミは、海流に乗ってアメリカ東海岸やハワイ等に打ちあがってるらしい。
回りまわっているのだ。


先日旅行したインドでも、ゴミが大きな問題となっている。
聖なる河として知られる、ガンジス川の中流域でこの現状。






防衛省のいう、我が国を取り巻く安全保障環境の厳しさ?より、ゴミ問題が及ぼす生活環境は世界規模に差し迫った脅威であり、喫緊の課題。
地元の橋や人工島、お友達の学園や利権の基地建設なんかより、まず被災地やこのゴミ何とかしれ。

期待されるケミカルリサイクル。  

2019年04月11日

2019インド旅・番外編 (コンデジ動画)

コンデジのSDカード容量が余ったので、インド滞在最終日に動画を撮りました。 下手くそですけど



シアルダー駅前の高架橋から通りを見下ろす。(この動画は携帯で撮影)





ニューマーケットからシアルダー駅に向かう途中にあった小さな市場。





コルカタのシアルダー駅前、高架下の人混み。





コルカタのシアルダー駅前、高架下の人混み。その2





コルカタのシアルダー駅前、高架下のチャイ屋さん。





コルカタ、サダルストリート裏。
イスラム街前、マルキアスストリートの賑わい。







おまけで、ビフォーアフター。
次のモノクロ写真は、12年前に撮ったサダルストリート裏のとあるチャイ屋さん。
ガジュマル?の根っこが目印。





そして今回。(少年はいませんが)





人も町も、一刻も留まることなく時代に流れていく中、変わる風景と変わらない風景。
何だかホッとしますね、この歳になると...



以上で、2019インド旅通信(コンデジカラー編)は終わります。(白黒フィルム写真編はまだあります)

ありがとうございました。








<2019インド物価目安> 1ルピー は1.6 円 

・チャイ(屋台) 5ルピー
・珈琲(店) 50ルピー
・錠 55ルピー
・ミネラルウォーター 15~20ルピー
・マーカーペン 25ルピー
・オレンジジュース 30ルピー
・下痢薬 112+30ルピー
・リキシャ 2km? 80ルピー
・プリー 6枚 18ルピー
・バス ハウラー駅まで 10ルピー
・チョーメン 40ルピー
・ラッシィー 40ルピー
・草履 50ルピー
・アイスクリーム 50ルピー
・レンタサイクル 100ルピー
・オレンジ一個 20ルピー
・ターリー 70ルピー~
・クローク 15ルピー
・マサラドーサ 70ルピー
・爪切り 10ルピー(一回で壊れた)
・ドミトリーなど安宿シングル平均 400ルピー


※地方に行くともっと安いと思います。

因みに、3週間のインド旅費は10万弱でした。
(石垣・那覇・バンコク・コルカタ乗り継ぎ往復LCC航空券約6万円)



  

2019年04月09日

2019インド旅最終日/コルカタ その2 (コンデジカラー編)

コルカタのマザーハウスでボランティアをする人々が、今も世界中からやって来る。

1985年に初めて来た時、ハンセン病の人や物乞いが沢山いて近づくことすら出来ず、元来た道を引き返してしまった。

知り合いや友達の何人かはボランティアを経験していて、偉いなあと思いつつ自分にはかなわないと開き直っていた。
34年ぶりに来てみた。
辺りの印象はまるで変っている様だった。
そして初めて、マザーハウスの中に入る。

懺悔するようにマザーテレサの棺に触れた瞬間、胸がジンときた。
すんません、自分には・・・






マザーハウス近くのギター工房。




(シタールなどの伝統楽器に比べて、ギターはまだ一寸なあ・・・)




同い年の職人さんがいた。







サダルストリートに戻り、こちら通称「コルカタのさとし」
まだ少年だった昔っから、この界隈で有名な関西弁を喋るNavin Sinha氏。
なんで「さとし」って呼ばれてるのか?自分には思い当たる人物がいる。
あいつが付けたか、あいつに影響されたか・・ナカムラサトシやろ?絶対。



「コルカタのさとし」よろしく https://www.facebook.com/navin.sinha.16752


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

30年、いやおそらくは40年以上も前から世界各国のバックパッカーで賑わっていたコルカタの安宿「パラゴン」も、時代の変化に在った。
パラゴン滞在中、バングラデシュの出稼ぎ客を除いて、バックパッカーの宿泊客はスペイン人のファンと自分だけ。
スタッフに聞くと、5か月後に「パラゴン」を建て直すという。
NEWパラゴンか、、、もう泊まらんかもしれないな。笑

イビサ島での退廃生活?から心機一転、カーリーガートのボランティア施設で自分を見つめ直していたファンに別れを告げる。
ビール飲みながら、バケツで衣類を洗ってるの図。





頼んでいたタクシーに乗車し、インドの街並みを見ながら感傷に耽る。
まるで、ロバート・デ・ニーロの「タクシードライバー」やん。





さらば、サダルストリート。







動画(サダルストリートを出る時、タクシーの運転手が対向車に何か怒ってる図)






1時間半かかって、真新しくもガラガラな空港に着いた。






ネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港で最後にひと悶着あり。

これまで往きに三回LCCを乗り継いで那覇、バンコク経由でインドに来た。
荷物検査の際に頼み込んで、何とかX線を通さずに白黒フィルムを持って来れたわけであったが、最後の最後に駄目だという。
「後生だからハンドチェックしてください!」
「だめだ」
「今までここに来るまでのどの空港も、ハンドチェックしてくれたで~」
「ダメなものはだめだ」「例えばアメリカで、こんなことが通用すると思っているのか?」
「そんな事言わんと・・・いやしかし、マジ頼むわ!」
「後へ下がれ、次の者!」
「後回し!」
「おーい、オレのマネーベルトが行ってまうで~」

ボディチェックが済んだ後、先ほどの係官が来た。
「荷物を開けてみろ」

その時、一冊だけ持ってきていた写真集「デイアインデイア」を見せた。
「だからほら、こんな写真を撮ってるんや、白黒フィルムで」「クンブメーラ撮りに来たんや」

「・・・そうか」
写真集のページをめくっていた係官の手が止まった。
「これは・・・ビハールの写真だな?」
「どれ?」
「これは、ブッダガヤで撮ったやつや」

ビハール州のナンバーが付いたぼろいミニバス。
屋根の上まで人が乗り、家路に就く夕暮れの写真だった。

「俺はビハールの出身だ・・・」「写真は趣味か?」
「いや、仕事だ」と嘘をついた。

「チョロ」「行け」

「ええんか?」「マジで?」
「धन्यवाद (ダンニャワード)!」

ここでフィルムがX線で被ってしまったら元も子もない。
写真集「デイアインデイア」が、係官の郷愁を誘い、私を助けた瞬間だった。







・・・というわけで、
3週間ちょいの、インド旅にしては弾丸的旅行だったけど、さすがはインド。

聞きしに勝る大気汚染に喉をやられて辟易したものの、過去にマラリヤや肝炎になった様な病にかかること無く、濃い体験ができ充実した旅となりました。

あと一年で下の子も巣立ち、子育て期間が終わるので、また旅しようか。
普段は、週一の休日とかまったく無しの生活。
オフシーズンにまとまった休日とっても誰にも後ろ指刺されんやろという事で、これから毎冬は・・・

インドに行くか、まだ行ってないとこ巡るか。


2か月間のインド旅通信、お付き合いくださいましてありがとうございました。

白黒フィルムの現像が上がったので、これからはとりあえずスキャンしてどうするか考えます。
いいのがあったら、写真展したいと思います。


その時はよろしく。